2001年12月21日作成開始、増補更新2002年 2月24日

しんかい6500潜航調査航海(インド洋 M/Vよこすか)


目次:
 
出航まで Dec.17 - Dec.20
 長い長い回航 Dec.20 - Dec.29
 第1潜航 Dec.30 & 31
 悪夢再び Jan. 1 - Jan. 8
 捲土重来 Jan. 9 - Jan.13
 モホを捉えた?、そして… Jan.14 - Jan.17
 潜航は続くよどこまでも?〜最終潜航 Jan.18 - Jan.20
 またも遁走、そして、入港 Jan.21 - Jan.27

//わたくしごとの部屋へ:


出航まで Dec.17 - Dec.20

 このたびは5度目になる調査航海、昨年天候に悩まされ完遂出来なかった海域へ再度向かいます。
 場所はインド洋:南緯33°東経57°。マダガスカル島から南東へ1500kmが目的の海域。
 今回は寄港地との往復の4日が惜しいので、オーストラリア西岸の港町、ポート・ヘッドランドよりの乗船。
 # その分、水や燃料の補給がタイトになってますが。
 船は勤務先に所属している
「よこすか」というしんかい6500の母船で、
 今月の 7日に会社の専用岸壁から出航、合流しました。
 今回も石田船長はじめ多くのオフィサーの方々は昨年と同じ顔ぶれで、「またよろしくお願いします」と言う感じ。
 もっとも、昨年のインド洋の後は別の船長指揮の短い航海だけで海に出ていませんでしたので、
 石田船長には「あれ?センターにまだ居ましたか?」と冗談を言われる始末。

 今回は有人の「しんかい6500」と一緒なので、その運航チームとも一緒です。
 会社では今井司令とは何度かお顔をあわせてはいましたが、メンバーの皆さんととはほとんど初顔合わせの私。
 乗り継ぎのパース空港などでは口数の少ないままそれぞれのグループに分かれての行動でした。

 陸泊の宿は港から2kmほど市街地からはやや離れていましたが、驚いたことにエントランスの壁が
 縞状鉄鉱! Banded Iron !
 しかも、エントランス前の海岸にはそのときに廃棄されたのかこれまたその破片が累々。
 とたんにハンマーを揮っての調査もどきと相成りました。
 鉄鉱石としてはおそらく品位が低いのでしょう、厚さ2, 3mmの赤褐色(ヘマタイト:酸化第二鉄)層と、
 金色ないし乳白色のアスベスト状繊維状の外観の層、相対的に黒色の層が綺麗な縞模様を示します:
  この外観のためご当地では"Tiger Iron"と呼ぶそうです。

 夕食はホテルのお姉さんの制止を振り切って街へ。
 ところが閑散とした状態。紹介されたタイ料理屋は定休日、
 店はビジネスアワーが5時までとかでほとんど閉まっています。
 ホテルに戻るのも悔しいので、暫しあたりをうろつきながら探します。
 パブ兼ホテルという古き良きスタイルの酒場をやっとの思いで見つけ、そこでまずは1杯。
 食事、というよりつまみですが、値段の割に多いので少々うんざりしつつも、2杯目、3杯目となってゆきます。

 翌日は一旦船に集合しますが、船に積んである重力計の較正と実験室の展開。
 というのもここまでの回航中は研究員はいないので、荷物はコンパクトに集めて重ねて固縛してあります。
 もちろん、この後も回航が続くわけですが、今度は研究員も乗っていますので、
 仕事がそれなりに出来るようにというわけです。

 そして翌日は朝から重力計の講習。しんかい6500の耐圧殻内に持ち込む形式の重力計ですので、
 観察者=潜航研究者が操作に慣れている必要があります。水準を取るのがなかなかに難しいのですが、
 これを艇内でやるとなると正直、大変ですが:私は2回やりました。

ポートヘッドランド港埠頭
岸壁を離れ水路を進む「よこすか」船上より望む。
後方の白い山は塩田で製造した塩。主な輸出先は日本。

さて、出航です。
 
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長い長い回航 Dec.20 - Dec.29

 さて、とにもかくにも出航しましたが、豪大陸を離れると周期的にうねりの大きな海域を通り過ぎます。
 寄港地のPort Hedlandは東経120゚、調査海域は東経57゚ですから、
 経度にして60以上゚、南緯30゚線に沿っても、4000km以上の大航海。10日ほど回航が続きます。
 この間、クリスマスがありまして、米側乗船者のパーティーに賭ける意気込みたるや、
 私のような日本人の想像を超えております。
 出航前にプレゼント交換をするから、とは言われていたのですが、
 何時どこで作ったのでしょうか、ドイツ風の焼き菓子らしきものや、
 定番のクリスマスプディング:径6吋!は出てくるわ、大したものです。
 captain、司令の御出座も仰ぎ、超大宴会と相成ります。
 クリスマスの靴下に参加者それぞれが供出したプレゼントを入れ、サンタが渡します。

 乗船研究者どうしも普段はそれぞれの大学・研究機関で別々に研究していますので、
 毎夕セミナー(勉強会)を行い、情報交換をします。
 そのほかにしんかい6500の設備等のレクチャーを受けたり、
 しんかいチームや乗組員を対象に勉強会も開きます。
 共同首席研究者の一人は勿論英語で話しますから、通訳を仰せつかりました。
 つたない逐語訳でどうにか務めます。

 
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第1潜航 Dec.30 & 31

 さて、調査海域に着いて、まずは潜航予定区域の事前地形調査。
 
マルチナロービーム音響測深装置:まぁ、音波レーダーですな、にて地形図の作成。
 これに基づいて潜航計画の微調整をします。# これが「微」調整にならない人がいるので困ったもんだ。
 着水予定区域に近づくと船の行き足を落としていき(およそ6時台)、
 曳航している地磁気の測定センサー(プロトン全磁力計)を引き上げます(7時前後)。
 30日はうねりが強く、センサーの揚収をしないまま、様子見。
 結局、中止となりました。

 明けて大晦日。2001年の最後を飾る潜航となるか、状況は多少良いようです。
 今度は、プロトンを引き上げて待ちます。
 早い朝食もそこそこに、運航チーム・乗組員による作業が進んでいきます。
 潜航研究者は新潟大の宮下さん。8時半には格納庫脇の潜水船事務室へ。

格納庫内のしんかい6500 しんかい6500に乗り込む宮下さん
格納庫内のしんかい6500。右端は北大・前田さん。
耐圧球下半球に3つある覗き窓や、2本の
マニュピレーターとサンプルバスケットなどがみえる。
しんかい6500に乗り込む宮下さん


 9時にはスイマーのスタンバイ。
 着水・揚収作業用の索(ロープ類)の脱着のため、2名のスイマーが作業艇にのって離れます。
 そして乗り込み。上面に掛けられたタラップから艇内へ。上面はなめらかな面なのでちょっと怖い。
 タラップが外され、しずしずと6Kは後部甲板へ引き出されていきます。
 後部上甲板は6Kの台車がちょうどのサイズにしてあります。最終点検の後、台車との固定金具を外して吊り上げます。
 大きなクレーン:両側で支える形式のため正面からだとアルファベットのAの字にみえることからAフレームと呼ぶ−で
 船尾(舳)より吊り出します。索がのばされて着水、その後スイマーが金具を外し、母船から離れつつ、
 浮力タンクを開いて(ベント開)、潜っていきます。

 この日の目的は、モホを捕まえること。
 地殻とマントルの境界は構成物質(岩石)に何らかの大きな違いがあるはずですが、その正体を見極めること。
 水深3400m超へは1時間半の旅となります。
 最初は白い堆積物の覆う斜面ですが、やがて岩肌の露出した崖になります。
 そういった崖からしんかいのマニュピレーターで石を掴み剥ぎ取ります(といっても操作は潜水艇艇長にお願いする)。
 離底時刻が迫る中、高く聳える断崖が出現、マグマの通り道にもみえる脈状の構造も現れ、興奮が高まります。
 しかし、残念ながら地形図上では小山の頂上まで100m弱を残して浮上時刻となりました。
 さて、離底しますと気分は少し和らぐのですが、ここから我々船上待機組の修羅場の始まり。
 潜航中に採取したサンプルをラベリング、基本的な観察をして少なくとも船上で日米両サイドに分けねばなりません。
 作業は翌日まで続きます…。
 
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悪夢再び Jan.1 - 8

 さて、明けて2002年元旦。潜航研究者は北大の前田さん。
 前日同様、着々と準備は進み、同様に艇内の人に。
 ところが、甲板に引き出されたところで突如強風が。
 なかなか収まりません。ここで中止となってしまいました。

 翌、2日。マダガスカル西方、アフリカ大陸との海峡上に熱帯低気圧が発生、
 うねりもやや強く、夕方から時化るとの予報で気をもみます。
 とうとう、2日連続で中止となってしまいました。
 そして、3日。予報通り、熱帯低気圧はサイクロンへと発達。我々は進路予想に直角の北東へと遁走。
 4日、5日と7度ほど北の去年も逃げてきた海域で待ちます。
 離れていても届くうねりは大きく、伏せっている研究者約半数。
 マダガスカルに上陸したサイクロンは衰弱したものの、波浪予報を睨みながら戻るタイミングを計ります。

 この間、31日の潜航にて採取された試料は半裁され、観察が進んでいきます。
 同時にその結果をもとに次の潜航計画の修正が始まります。
 ことここに及んでは計画通りの潜航回数は望めないので手直しが必要。
 なにやら2000年9月の再現となってきました。
 潜航地点(海底ですが)の見直しにより、前田さんの順番はちょっと後ろへ。
 これまでの調査が全くない10kmほど東の斜面を優先させることとなります。

 戻ってきた8日、朝方は穏やかでしたが調査海域付近はまだうねりが大きく、
 時折しぶきが上がるほどです。
 次第に波浪が収まっていく予報なので忍耐の待機が続きますが、
 やはり時間切れで中止となってしまいました。
 
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捲土重来 Jan.9 -13

 さて、満を持した9日。うねりはまだ高めですが船長と司令の決断でともかく始まります。
 というのも、うねりの原因となった熱低は遙かに衰弱し、海況の好転が予測されているから。
 このあたり、インド洋の航海経験では随一のキャプテンの予測はピタリ、ピタリとはまります。
 潜航研究者は今航海の共同首席研究者を務める海洋科学技術センター(うちの会社)の松本さん。
 地球物理、特に重力測定を専門としており、未調査の海域にての貴重なデータが是非必要との観点での潜航です。

 高いうねりで潜航が中止となるのは、着水・揚収時に海に入るスイマーの安全のため。
 「しんかい」は2000, 6500ともにほぼ空中重量は20tちょっとですが、
 2本の索(ロープ)で吊り下げて海におろしたり、船に上げたりします。
 この吊り上げ金具は人の頭より大きなもので、安全のために1本でも支えられるよう、
 確実な着脱のため人の眼による確認が是非とも必要となっています。
 このため、着水・揚収の際に海に入り、金具の着脱・確認、引き綱の着脱を担当するのがスイマー。
 ほとんどのっぺらぼうの「しんかい」の上での作業になるのでうねりによる動揺は危険を伴います。
 ほとんど安全基準ギリギリでの作業を引き受けてくれるみなさんのおかげあってこそ。

 着水・揚収の繰船総指揮は、むろんキャプテンが行いますが、
 作業指揮は一等航海士(Chief Officer: ふつうはチョフサーと訛る)。
 動揺の様子を見ながら数秒〜数十秒待ってタイミングを計りながら作業を進めます。
 # 本航海もこの指揮は漁野さん:「ちょい待つぞぉ」拡声器から流れることしばしば。
 この目的のためによこすかはじめ支援母船には格納庫後端最上部に後部操舵室があって、
 そこから指揮されることとなります:この間メインブリッジは大抵三等航海士が留守番。
 まだ高いうねりの中、ベントを開き潮を噴き上げて潜航開始。
 この日は平均斜度45度以上という急崖にて3点の重力測定を行い、付近の岩石試料の採取にも成功しました。

 調査期間はあと2週間。回航を考えると12日しかありません。
 事ここに至り、真夏のため再びサイクロンが発生する可能性も高いため:事実18日には猛烈なサイクロンが発生、
 海況の許す限り連続しての潜航も検討され始めます。普通は3日潜航したら1日の整備日をもうけます。

 翌10日。潜航は年末の宮下さんの地点より北東側のより浅い急崖。
 我々の調査対象であるアトランティス海台は下部地殻を構成するはずのはんれい岩の露出が特異ですが、
 一部、上部地殻を構成し、海底面へマグマをもたらす岩脈の分布も推定されていました。
 これは、実際の海洋地殻形成を考える上ではきわめて重要な岩石で、
 潜航は今航海での米側初潜航、ワイオミング大学のBarbara Johnさん(通称Bobbie)。

 続いて11日。北大・前田さんの三度目の正直潜航。
 海域は断裂帯を北へ40kmほど移った海台北西端。
 今度は無事に潜航していきました。

 このころ、予想では18日程度までは海況は安定が続くとのこと。
 ともかく4潜航連続の6潜航分の計画で始まったシークエンスも半ばをすぎ、次のターゲットについて激論が始まります。
 
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わたくしごとの部屋


支援母船「よこすか」
 海洋科学技術センター(JAMSTEC)所属。6500m級有人潜水船「しんかい6500」の支援を行う専用母船
  (M/V: mother vessel。しばしばS/V: support vesselとも略記される)。
 本船もある理由により平底の船形になっているため揺れは激しい方である。
 運航はJAMSTECが直接行うのではなく、日本海洋事業株式会社(日海事)という企業に委託している。
 日海事は本船のほか「なつしま」「かいよう」「かいれい」というセンター船計4隻の運航を担当している。
 水線間長約100m、総トン数4000ということは昔風に言えば軽巡並みのサイズですね。
 # まぁ、スピードは要らないし、作業性が重要なので幅広の寸胴ですが。
石田船長
 昨年に引き続き本航でも船長を務めてくださった。
 海上勤務の経験は昭和35年頃の石炭焚き船にまで遡るという、生粋の叩き上げ。
 日本水産所属の間、南氷洋での捕鯨母船はじめ母船式サケマス船団など外洋船での豊富な勤務経験を持つ。
 平成4年11月帰港の最後の船団にも参加されているとのこと。
 H-IIロケット探索時は同型船「かいれい」の船長を務められ、某局テレビ番組の取材も受けている。
 センター船「なつしま」の入渠中に神戸で95年の兵庫県南部地震を経験されている。
 # このとき船台から転落した「なつしま」は坂出に回航され、さらに40日の修理を余儀なくされた。
 前述、H-II放送ではOPで不可能といわれた捜索という字幕が出るシーン、
 短く刈り込んだ渋い白髪のオフィサーが双眼鏡を構えますがそれがこの方。
 本編ではインタビューはカットされましたが、
 「ああいうのは嫌いだから、ちょうど良かったよ」と笑ってらっしゃいました。
しんかい6500
 6500m級有人潜水艇。通称6K(6.5Kと呼ぶ場合もある)。米仏の科学目的の有人潜水艇は4000m級なので、
 公開されている有人潜水艇としては世界最深(ということになっている)。乗員3名。
 某局番組プロ○ェクトXでも紹介されたように、耐圧殻(人の入るところ)はチタン合金製で、
 この技術開発の困難などにより、先行して製作されたのがしんかい2000
  (残念ながら平成14年度限りの運用となってしまいましたが)。
マルチナロービーム音響測深装置
 その名の通り。ビームというのは指向性を持たせた音波で、船底より扇形に発振しレシーバーで受信、
 その時間から距離をもとめる。船の進行により、幅を持った区域を走査しながら海底地形を描き出してゆく。
 よこすか積載の装置はアメリカ製のSEABEAM2100。
 最大の発振角が120゚なので、直下水深の3.5倍の幅で地形が判る。
 ただし水深が深くなれば遠い(発振角の大きい)ビームは強度が落ちてデータが悪くなるので、
 地形の判る走査幅(swath width)は大体一定となる傾向がある。
 まぁ、旧来の測深儀との違いは普通のレーダーとフェイズド・アレイ・レーダーとの差だと思って貰えれば。
 # こちらは面ではなく線上に送受信機が並んでいますが。
モホ Mohorovicic discontinuity: モホロビチッチ不連続面
 地球内部の最大の構造の1つで、ユーゴスラビアの地震学者モホロビチッチにより発見された、
 地下数十キロ(大陸地域)で地震波の伝わる速度が急激に増大する面(1909年)。
 現在は、地震に伴い生じる地震波のうち、最初に到達するP波(Primary Wave)の速度が7km/s台から8km/s台へと
 急激に増大する面として定義され、これより遅い上位が(地震学的)地殻、下位がマントルとなる。
 現在一般的には構成岩石の鉱物・化学組成の差異を反映しているものと考えられている。

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熊谷