2004年 7月 5日製作開始 11月23日暫定掲載

南東太平洋調査航海(R/V よこすかw/しんかい6500)


目次:
 
出航まで Jul. 3-Jul. 6
 出航… Jul. 7-Jul.12
 幸先良いが Jul.13-Jul.17
 またも遁走 Jul.18-Jul.22

//わたくしごとの部屋へ:


出航まで Jul. 3-Jul. 6

 年に一度?の調査航海は今年は太平洋でしんかい6500の潜航です。
 南緯8〜19°西経108〜114°。イースター島のちょい北側。
 今回の寄港地はタヒチ島。
 船より1日早く着く予定は、台風の鼻先をかすめて1日早く出航したよこすかと同日に。
 フェリー乗り場の正面、下町の中級ホテルに入りました:といっても宿代は一万円ほどもします。
 せっかくの火山島ですから、なんちゃって火山学者としては本物の火山学者に連れられてお勉強です。

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出航…  Jul. 7-Jul.12

 雨期のくせに妙に雨がちで出航日も朝方スコールになります。
 朝食を終えると晴れ間が出ますが、2000mを超える山頂はずっと雲に隠れたまま。
 1000時出港ですので、0830頃に入国審査の係官が登場しますが、
 昨年の担当者とか、2人ばかりおまけをつれてやってきます。
 ずいぶんとおおらかであったという手続きの後、潜水艇を見学して帰っていきました。
 続いて、隣のモーレア島にお住まいのカメラマンの方がお土産を携えてやってきます。
 もやいを解いた頃には、日章旗を持った年輩の方が岸壁にやってきました。
 なんでも、長年アメリカに住んでいた方だそうですが、一昨年だかに奥さんに先立たれ、
 遺品を携えてヨットで帰国するのだとか。よこすかの入港日に訪ねてきたそうで、いきさつを
船長が伺ったそうです。
 「日本で会おうー」と声を掛けてくれました。写真を互いに取り合いますが、
 数日後にはホノルルへ向けて出るとかでお目にかかれるとしたら日本でになるでしょう。

 島が見える間は携帯電話も通じます。せっかくなので、家内に「行って来ます」コールをしてから電源を切りました。

 港から出たくらいはまだいいとしても、島影から外れると急に揺れが酷くなります。
 後部上甲板どころか2つ上の船橋甲板に登る梯子にまで飛沫が飛びます。
 昼食後には早速船酔いに襲われます。元々さほど強い方ではありませんが、今回はかなり酷い。
 左舷側の高いレベルにもの入れ代わりのコンテナがありますが、そこからの荷物の出し入れで早速やってしまいました。
 # ま、3度目ですからトイレの位置は良く知っていますので。
 4時間で都合3回。これではさすがに保たないので薬を1錠。
 夕食前の安航祈願(通称:金比羅さん)にはよろよろで顔を出します。

 翌日、船内生活のガイダンスとしんかいチームによるオリエンテーション。
 3日目には船としんかいチームのみなさんとを対象に簡単な講演会。
 今回の首席研究員は静岡大の火山学者・海野教授ですので、和訳係も多少は楽です。
 概略解説のあとはこの海域を長らく研究してきた米国人2名の講演となります。

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幸先良いが Jul.13-Jul.17

 さて、調査海域(南側の南緯13-19度、B海域と呼んでいる)には14日早朝に到着し、
 潜航用地図作成のための測深の後、早速潜航。非常に幸先がよいです。

 潜航日の朝は早いものです。
 研究チームも6時前後には起き出すのですが、しんかいチームはもっと早くから作業を始めています。
 7月14日は直前まで広域の地形調査をしていたため、船の後部からケーブルにつけて流していた磁力計の回収作業が朝食前から一等航海士・鮫島さんの作業指揮のもと。
 朝食を摂って9時過ぎに潜航研究者は格納庫の横にある潜水船事務室へ向かいます。格納庫の壁には潜航番号、パイロット名、潜航目的…等を記入したホワイトボードがあり、記録をかねてその前で記念撮影。
 しんかい6500には、格納庫から引き出される前に乗り込みます。潜水船事務室の近くの階段を上り、しんかい6500に掛けられたタラップを通って上面のハッチからはしごを下りて艇内へ入ります。クッション敷きの船内は思ったより広いものですが、足下近くに斜め下を見るように観察用の覗き窓があります。
 準備が整うと、しんかいは後部甲板へと引き出されてゆき、とても太いロープでつり下げられて海面へと下ろされます。吊り下げていた金具を外すためには人の手が必要なので、予め海上に待機していた作業艇からスイマーが飛び込み、しんかいの上面に乗り移って外します。波の荒い日には見ている方が心配になるくらい。すべての金具が外されて自由になったしんかいは潜航を開始します。
 しんかいと船上は音波を使った通信機と映像の伝送装置で結ばれています。研究チームのメンバーのうち2名の当番と手が空いている者が潜航中は指令室に集まり、10秒に1枚ずつ送られてくる画像を見て交信内容と併せて記録を取ります。制限時間いっぱいまで海底で観察をした後、海底を離れます。浮上したしんかいへは作業艇と母船が近づき、再びスイマーの手で金具を取り付け、引き揚げます。
 14日からは17日までは連続潜航となりいつになく幸先のよいスタートです。

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またも遁走 Jul.18-Jul.22

 出航前からキャプテンは再三「冬ですからね」を連発していましたが、案の定。
 海況悪化の予測により潜航点を急遽変更して賭けた18日、
 急な海況悪化で産総研・下司氏で予定していた潜航は中止に。

 今回の首席の偉いところは決断の早いところ。
  どうせ2,3日潜航できないのなら回航日に使ってしまえ、
 と早速に少し離れた海域への移動を提案し、燃料の計算もOKで早々に移動日となります。

 中1日回航して、20日早朝の到着となりますが、そこまで海況悪化は追いかけてきていました。
 朝食までの1時間以上、船長、司令、首席研究者共々見守りますが、
 波浪予報もまだまだ下り坂で、風も強く、協議の末に取りやめとします。
 翌21日、海況は好転せず、むしろうねりは大きくなり、風速も上がりました。
 潜航予定者のハワイ大John Sinton教授はキャビンが揺れにくい位置にあることもあり、
 やる気満々で準備していましたが、ま、諦めてもらいます。
 夕方には「げん直し」との船長の一言。
 その甲斐あってか、贔屓目には22日には少々収まったかに見えても、
 作業時間他勘案するとやはり無理で我慢比べの様相を呈してきました。
 翌23日も「天気晴朗なるが故に波高し」です。

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わたくしごとの部屋


石田船長
 本航でもお世話になりました。
 先のインド洋の際には「そろそろ引退かな」などとファンが心配するようなお言葉もありましたが、
 今回もお世話になることができました。
 アメリカから帰った直後の発表会でお目にかかり、名刺を頂戴したところ、
 「上級船長」という肩書きになっていらっしゃいました。
 またも「あと1,2年だからね」とのお言葉ですが、そう仰らずに…とファンとしてはおもいますけれども。
 なお、同乗のテキサスおやじによればキャプテンは
 "Half filled man: グラスに半分入った酒を「半分もある」と肯定的にみることができる男"
 であるそうです。

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熊谷英憲