2004年12月 8日更新

2.地学にかんするもろもろ

はじめに

2.1.センター試験の地学!2000年 1月20日 開設!

//理科教育に関しておもうところ

はじめに

 地学とは広義の地球科学、すなわち惑星地球そのものの現状その成立・時間発展を より大きなシステム(宇宙)の中での位置づけを念頭に置いて研究対象とする科学の、 初中等教育における断面である。 その範囲は狭義の地球科学(地球をのみ対象とする)が次第に天文学との境界を曖昧にし 惑星科学へと拡大するに伴い、まさに 「天の果てから地の底まで」を対象とするにいたっている。 その焦点を伝統的な学問分野で表すならば、天文学/気象・海洋学/地質・鉱物・鉱床・地球物理学となろう。 このうち、天文学を除いた2分野の授業では、話題振り(introduction)にはとかく災害が利用される。 これは中等教育までに限らず、名前を良く聞く大学の講義要項にさえもそのような傾向は散見される。 確かに,日々の営みを揺るがす災害を軽視する事は容認されるものではないだろう。 だが、 我々を取り巻く環境その枠組みを与える地球という惑星について我々は何を知っているか、 を明確に認識し、 そこから我々人類の立場/活動を相対化する視点を得ることがより重要なのではないだろうか。 しばしば、どこかの誰かを襲った災害は我々を単なる傍観者に変え、 そこに暮らす人々の営みを単なる見せ物へと貶める危険を孕む。 だがそういった物見高いだけの姿勢は、一過性の芸能スキャンダルに対するそれと本質的に異ならない。
 一方で、宇宙を媒体に記録された現象は、室内の実験では到達困難な超高圧/超高温状態ないしは低温/超高真空状態の記録であり、 しばしばヒトの知覚からかけ離れた長大な時間を経て顕れるものでもある。 これはしばしば理想化された条件下でのみ定式化され、再現性普遍性に拠って立つ「再現性の科学」に対し 常に挑戦するものでもある。 これはかつて地学が物理学・化学の立場からは「科学でない」と一段低い立場を与えられた根拠でもあるが、 身近な現象に関心を寄せるばかりでなく、 そこに顕れている現象の本質,普遍的な原理にまで遡る姿勢を堅持するならば何ら矛盾を生じない。
 あまりに広汎な対象はしばしば授業者の限られた専門、経験では 充分な授業を提供できない危険を孕むようにもみえる。 だが、「教師は正解を与えねばならない」という誤った期待から教員/生徒ともに解放されるならば、 むしろ、授業者あるいは研究者が如何に対象を理解しようと試みているか その動的な躍動する知的過程そのものを授業内で共有体験しうる契機ともなろう。
 また、高校で充分な広がりと時間を以て地学という科目が提供されているかと言えば、 残念ながら否定的観測が先行する。 しかしながら、その枠内でも学校毎の事情の許す範囲で努力することは可能である。 また、出版社による編集方針の違いからか取り扱いの内容にもvariationは多いものの、 著者の並々ならぬ努力が反映された「良く書けた教科書」は決して他教科に引けを取るものではない。 その中には現在尚盛んに研究されている分野を野心的に取り扱ったもの, 人類との関係の視座を入れた取り扱いを試みているものも多い。 せめて高校で地学の教科書を斜め読みでもする機会をとってくれたなら、 これは地球科学に取り憑かれた1研究者としての切なる願いでもある。

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なぜ地震や火山を研究するのか? −ご挨拶に代えて

 科学者としての興味の対象をあえて2つの極端に分けるとすれば(1)宇宙の営み全て の奥底に潜む真理の探究と、(2)人類社会に利益をもたらす技術(テクノロジー)の開発とになるかと思います。
 第1の立場では、我々が地上で目にすることのできる地震の発生や火山の噴火といった 自然現象そのものが対象になります。また、そういった現象を注意深く調べることで、地 上の現象に舞台を提供し、また、その原因を作っている目に見えない地球内部の様子を推 定しようとします。内部の様子を含めた地球の営み全体を明らかにすることで、表面の現 象が全体の中でどのような役割を担っているのかはっきりさせ、より深い理解を可能にし ようとするわけです。こうした研究は、太陽系の仕組みや歴史などを対象とする惑星科学 の研究、さらには生命の発生や進化の研究にも重要な情報を与えることになります。ゴー ルの1つには、「我々人類は宇宙を理解できる(しようとする能力を持つ)知的な存在と して、なぜいまここに存在するのか」という人類究極の問いに対してなんらかの可能性を 示すことがかかげられます。
 第2の立場では、地震の発生や火山の噴火のときに、人類社会にどのような影響がでる のかを知ることが出発点になります。ひとたび地震が発生したり火山が噴火したりすれば、 今年(註:1995年)1月の兵庫県南部地震や5年間も続いた雲仙普賢岳の噴火のように大き な被害をもたらします。そこで、被害を最小限に食い止めるための予測技術が求められる ことになります。しかも、我が国は地震・火山災害が頻繁に起こる地域でもあるため、少 々のことでは被害を受けにくいような対策や、被害を受けたとしてもすばやくもとの状態 に戻すことができるような準備も求められます。たとえば、工学という立場では、建物や 道路をどのようにつくったらよいかと言う点が問題になります。経済的には、工業活動へ の影響が考えられます。地域や国としての長期間の計画という点で政治とも関係します。
 ではこの2つの立場は全く別のものなのでしょうか?必ずしもそうとは言えません。研 究者一人一人を見ても、100%どちらかの立場という者は少なく、1つめの立場に近い 者、2つめの立場に近い者、いずれも両極端の間に散らばっています。そして一人の人物 が、ある時には1つめの立場寄りに、何かのきっかけで2つめの立場寄りに、と揺れ動く ことが普通です。ともすれば、第1の立場が高尚であるとか、第2の立場でなければ世の 中の役に立たないとか、といった不毛な議論に陥りがちです。しかし、真理の探究は我々 人類の世界観を豊かにして合理的行動をとりやすくするという利益をもたらし、テクノロ ジーの進歩は新たな真理の発見を生み出すのです。どちらの立場もめざすものは1つにな ると考えることも可能です。
 この企画では、私たちが、地球の姿をどんな立場でどんな手段を用いて研究しているの か、その結果としてわかってきたことは何かということの全体像を簡単にご紹介します。
         −(1995年度東京大学地震研究所一般公開学生企画案内文より)

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熊谷英憲/ 予備くま@FJYKJ