1999年 2月22日更新 2000年 8月 1日再配置

1.『理工教育を問う』への反応


  気になる本があります。『理工教育を問う』(産経新聞社会部編/新潮文庫)です。
 依って立つ問題意識にかなり近い部分もあるのですが、やはり、現役(留年)大学院生として
 「あんた、そりゃ違うぜ」「それは甘いよ」と首を縦に振れない部分が出てきます。
 実名を持って登場された方々に敬意を表すのは吝かではありませんが、
 また別の事例・個人の話を書いておくのも無駄ではないと思ったもので。

目次:
 
1.大学院生の日常生活
 2.ハードウェアとソフトウェア
 3.課程博士の大量生産
 4.塾批判(第1稿)

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1.大学院生の日常生活

  文庫版では第2部(105頁〜140頁)を費やして計7名の方が実名にて登場され(教官除く)、
 生活の様子を公開していらっしゃいます。紙上連載当時と現在では相場等に変動があると思いますが、
 私の場合をご参考までに。
 下宿 4.5畳(一応流しはある) ¥2.9万 :ワンルーム?寝に帰るだけだから・・・。
 収入 現在:学振特別研究員 ¥20.2万/月(税込):99年3月まで。
     #4月からは下手に時間数の少ない高校の非常勤をするので塾には戻れなくなってしまいました。
    以前:塾講師 ¥7万〜25万/月(税込)年額¥180万程度。勤務週2日平均。
    仕送り無し。授業料は免除時以外は学資保険から両親に負担して貰う。
  授業料免除適用 学部(一部除く)&DC1〜3
 時間帯 10時〜12時の間に登校:11時より遅くならないように努力中
     概ね23時以降帰宅:21時に早退/2時まで居残りの場合あり
      #1日おきに銭湯に間に合うように。生活サイクルのズレ防止には有効。
 休日 原則として年中無休
 衣類 バイト先のもと上司から頂いたYシャツ類中心。年間更新は夏物冬物上下それぞれ年1,2枚。
 なお、この状況は院生の中では恵まれているほうのようです。
 まぁ、自分のやりたいことと食い扶持の確保を天秤に掛け、戦略的に専攻/バイト先を選んだのは事実ですが。
 作法に厳しい専攻や生物の管理が必要な専門だとバイトの時間を確保するのが難しいみたいです。
  バイト先の有能な後輩が指導教官に「バイトを続けるのなら面倒はみてやれん」といわれたとかで
  バイトを辞め、修士課程の2年間佐倉の自宅から通学という苦労をした例を知ってます。

 でもね、
 読んでいると「院生の生活はこんなに悲惨なんだ。だから何とかしてやらないといけないんだ。」
 といわれているようにも聞こえるんですが、そんなに悲惨でしょうかねぇ?
 嫌いなことをやってるわけじゃないんだから私自身は食っていければ良いと思いますけど。
 こういう生活が嫌いな方まで無理して院にいらしていただかなくても良いと思いますが。
 必要なのは同情ではないことは種々の支援活動と共通するものがあると思うのですけれど。

 ※ ついでに言うと、実験装置の管理は院生並びに助手ほかにて共同(専属スタッフ無し)。

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2.ハードウェアとソフトウェア

予算執行上の仕組みにも問題があるように思うのですが:例えば、単年度使い切りの構造とか、
# 当大学なんかも比較的予算が潤沢だそうなので機械のお金は結構付きます。
ところが、実験装置って買ったままじゃどうにもならないものです。
その意味では、実験装置って真の意味の工業製品ではないのかも知れません。
# 立ち上げが必要なカメラって聞いたことあります?
# でもまぁ、車なんかは点検とか維持とか結構大変みたいですよね?
ここ数年で種々の実験装置が導入されていますが、定常的に運転してデータを出せるまでに持っていくのって
実はかなり大変なんですよ。
で、実際問題としてまともに動いている装置の条件を考えてみると・・・、
 ・需要があること
 ・(半)専属に全責任を持って管理しているスタッフがいること
になろうかと思います。
いわば、メーカーが示すカタログスペックって、
理想的使用条件下で開発スタッフが出す値のようなものですから、
機械の癖のようなものを充分に把握するほど使い込まなくては出ようがありません。
# 造った本人達なんだから、ね。 これが専属スタッフの存在を重要にしていますね。細かな状態の変化に気付くので、
需要の方は確かに使えば劣化する部分もありますが、使用頻度が高いほど、
上手なメンテで長持ちするし、次第に使い勝手が良くなって性能が向上していくもの。
# いや、確かに触る度に壊すようなセンスのない人物ってのも確かにいますけどね・・・。
# 壊すのが難しい位の所を狙ったように壊してた後輩もいましたから。就職先の鉄道会社、大丈夫かなぁ(^^;
一昨日死人が出た所じゃないです。近いけど。

ところが・・・、
そのような技術職、技官、果ては助手までも削減の対象になっているのが昨今の現状。
機械に予算が付きやすいから、どんどん買うけれど、
# どんな例があるか知りたい方は、
メールください。UPしておくとヤバ過ぎますから。
結局、良くて一定の期間だけ動いて後は埃を被ることになりがち。
国際会議になんか出ると、
「あの日本の○○が買った分析装置、データが出てないみたいだけど、どうなってんの?」
とせせら笑われるのが現状。

たとえ、院生が学位論文を出す程度には使っても、その学生が卒業/就職でいなくなれば、
専属スタッフがいない限り、蓄積されたノウハウはすべて消え去ります。
これは国民の資産の有効活用という意味で非常にマイナスのはず。
このような形として見えにくい技術や情報という資産は
伝統的に日本では軽視されている印象を私は持っていますが、これはまた別項にて。

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3.課程博士の大量生産

 わたしは、日本という国ないし日本人という集団は基盤が人材にしか求め得ない以上、
本気でコストを払って実行すべきだと思います。国家100年の計として。
 実際には賛否両論有るようですね。本文90ページでは課程博士の質が悪いといわんばかりの記述がありますが、
 ・・・民間企業が求める資質を備えている課程博士は少ない実態である。
  (科技庁平成4年リポート「自然科学系課程博士を増強する条件」より)

もともとたいした人数ないのですから、当たり外れが大きいのは統計的に当然のこと。
質的に大きなバラツキがあり得るのに小さな母集団からのけして多くない抽出サンプルを以て
「だから日本の課程博士なんていらない」と結論づけられてはたまりません。
___
※ 確かに我が大学院でも別の研究科なんかでは「3年研究室で労働したからご褒美」で博士号がもらえる
等という意識の所もあるようですから大学院側に全く落ち度がないとは言えませんわな。そんな連中には
「納得がいかないから自ら進んで留年して仕事を仕上げる」なんて思いもよらないことでしょうが。


 私としては我々の世代が犠牲となっても「下手な鉄砲数撃ち当てる」方式への転換が必要と思います。
 ま、博士課程の定員増をどれだけ本気でやるかだと思いますが、ともかく一定レベル以上の人材の安定供給を望むなら、
それなりのコストを社会として払う覚悟が必要と思います:高い山の喩えは皆さんお好きではありませんか?。

更に、同じく90ページでは、
 <「民間企業が課程博士に求める資質」は、
 ・・・ヒト、モノ、及びカネを統合する研究能力が修士よりも優れていること、
 並びに課程博士が特定研究テーマだけでなく、研究の本質を掌握する能力、研究手法、
 基礎的学識の広さ、語学力、科学的実証能力などにおいて修士より優れていることである。

とのことですが、これをすべて満たすのでは超人/スーパー研究者に他なりません。
平均的に修士を上回る能力を求めるのは当然とはいえ、少なくとも「カネを統合する能力」は過酷ですし、
 ※ 大体、大学にはカネがないんだから。トレーニングしようにもしようがない。
語学力も専門家の通訳並が要求されるのだとするとお手上げですね。
 大学も企業もシステムである以上、その構成員は自己のシステム内の位置に応じた能力の発揮が必要であり、
それはマネージャーと有能な研究員では異なるはずです。実際に手を動かす人と指揮官それぞれが不可欠なのに。
 現役時代のスーパースターを監督に据えて優勝できないとすぐ首をすげ替えるという
日本のプロスポーツにも見られる欠陥でしょう。これは、日本の組織全般に巣喰う欠陥だと思いますが。
逆に、指揮官が現場の事態を全く把握しない(上手には出来ないのと知らないのとは違う)のも見られますね・・・。
それはそれでダメだと思うんですが。企業でも大変らしいですねぇ。
 大学の教官だって有能な研究者で、有能な教育者で、プロジェクトマネージャーたることを要求されてるわけで、
そういう稀少産出の超人的人物がいないと機能しない組織ってのは欠陥組織だと思いますよ。
人類の大多数は凡人であり、凡人の能力を統合して前進できる仕組みを作りつつ、
偶然獲得された天才/超人によって飛躍することを考えた方がずっとお得だと思います。
そのためには旧軍的or官僚制度的(戦前から生き残った)な悪弊を克服することが必要に違いないんです・・・。
 それともこのままに瓦解していくだけなのでしょうか・・・・。

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4.塾批判

 62ページでは、
「言葉を書かせる問題になると、非常に高い正答率になる」ことが塾の弊害として指摘されています。
 しかし、この問題が、
  ・塾の存在自体による問題か
  ・塾の授業やテストに起因するものか
 は冷静に考えてみるべきところ。
 塾は種々の制約により公教育の枠外で果たしている役割も多いと考えますが如何か?
 私は語句問題のみで正解するような程度の効果しか出せない塾は、塾側の教員の質が低く、
 問題作成能力も低いということを示すだけ、それだけと考えます。
 何しろ、「・・・の名称を答えよ」「・・・を何というか」式の問題は作るのが楽ですから。
  まぁ、私の元勤務先の専任社員でも「どうしてこんな問題しか作れないわけ?」という方、
  はゴロゴロいましたからね。難しい言葉を並べ立てれば良い授業だと思ってる輩もいましたし。
  ただし、言葉が難しいことと内容が程度が高い/先進的であることは別の筈ですね。
 一方で、私自身の授業でも「学校の理科はつまんない」という声は少なからず聞いています。
 私は学校側にも思い当たる節はありませんか、と伺ってみたいところです。
 教員がある教科を好きにさせることが出来るなんて思い上がるのもどうかと思いますが、
 まぁ、学校、塾いずれにしろ、子供たちにその教科を嫌いにさせてしまう様な教員は
 無益なだけでなく有害だから辞めちまえ!
 と言いたいですな。

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熊谷英憲/予備くま@FJYKJ